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無言歌

Posted by Arsène

「無言歌」について、用語の意味などを解説

無言歌

Lieder ohne Worte(独)

無言歌は、19世紀のキャラクター・ピースのひとつ。「Lieder ohne Worte」の原意は「言葉のない歌」。メンデルスゾーンが使い始め、8巻の「無言歌集」を出版している。

言葉の「不完全さ」を証明する音楽 無言歌のパラドックス

「無言歌(Songs Without Words / Lieder ohne Worte)」というタイトルは、一見すると矛盾に満ちている。歌とは本来、言葉(歌詞)を伴うものであり、言葉がないのならそれは単なる器楽曲ではないのか。

しかし、19世紀ロマン派の作曲家フェリックス・メンデルスゾーンによって確立されたこのジャンルは、音楽における革命的な美学宣言であった。彼は「音楽は言葉で表現するにはあまりに曖昧だから歌詞をつける」のではなく、「音楽は言葉にするにはあまりに具体的で、あまりに繊細すぎるからこそ、言葉を捨てて音だけで語るのだ」と考えたのである。

言葉は時として、感情を限定し、誤解を生む枷(かせ)となる。無言歌とは、その枷を外し、人間の内面にある「名付けようのない感情」を、ピアノという楽器一台で純粋に歌い上げる試みなのである。

ピアノが「歌手」になる瞬間

無言歌の構造的な最大の特徴は、ピアノという打弦楽器を、あたかも「歌い手」と「伴奏者」が共存しているかのように扱っている点にある。

多くの無言歌では、右手(特に小指側)が声楽的な旋律(メロディ)を担当し、左手がベースラインを支え、その間の内声部がアルペジオや和音で伴奏を埋めるという「三層構造」をとることが多い。

これにより、たった一人のピアニストが、孤独なアリアを歌うプリマドンナと、それを支えるオーケストラの役割を同時に演じることになる。ここで求められるのは、ピアノという減衰する音しか出せない楽器で、いかにして「カンタービレ(歌うように)」という持続音の幻影を作り出すかという、タッチの魔術である。

メンデルスゾーンの「日記」としての48曲

メンデルスゾーンは生涯にわたり、全8巻・48曲からなる『無言歌集』を出版した。彼にとってこれらの小品は、交響曲やオラトリオのような公的な大演説ではなく、親しい友人や家族、あるいは自分自身に向けて綴られた「私的な日記」のようなものであった。

ヴェネツィアの舟歌(Venetianisches Gondellied): 揺れるような6/8拍子のリズムが、水面の波動とゴンドラの漕ぎ手の哀愁を描き出す。言葉はなくとも、聴き手はそこに水の匂いと夕暮れの光景をありありと感じることができる。

春の歌(Frühlingslied): 装飾音符を散りばめた軽やかなアルペジオは、芽吹く生命の喜びや、小川のせせらぎを模倣している。これに「春」というタイトル以上の説明は野暮というものである。

紡ぎ歌(Spinnerlied): 糸車が回るブンブンという持続音(ドローン)を高速なパッセージで表現し、その上で働きながら口ずさむ娘の歌が聞こえてくる。

これらの曲は、タイトル(多くは後世の出版社が付けたものだが)が示す情景描写を超えて、作曲家の心の機微を写したスナップショットとなっている。

「ハウス・ムジーク」と家庭のピアノ

無言歌が爆発的に普及した背景には、19世紀ヨーロッパにおける市民階級の台頭と、家庭へのピアノの普及がある。

巨大なコンサートホールではなく、自宅のサロンや居間で、家族や友人のために演奏される「ハウス・ムジーク(家庭音楽)」として、無言歌は理想的な形式であった。技術的に超絶技巧を要するリストやショパンの難曲とは異なり、無言歌の多くは(音楽的な深さは別として)アマチュアでも手が届く技巧で書かれている。それは、「高尚な芸術」を特権階級の手から解放し、日々の生活の中に「詩的な瞬間」を取り戻すための、静かなる文化運動でもあった。

言葉よりも雄弁な沈黙

「何を語っているのか分からない」という批判に対し、メンデルスゾーンはこう答えた。「人々は、音楽はあまりに多義的で、何を考えたらよいか分からないと不平を言う。そして言葉なら誰にでも分かると言う。私には、まったく逆のように思われる。(中略)音楽が私に表現する思想は、あまりに曖昧で言葉にならないのではなく、言葉にするにはあまりに明確すぎるのだ」

無言歌を聴くとき、私たちは歌詞の意味を追う必要がない。その代わりに、自分の記憶や感情をメロディに投影し、自分だけの物語を紡ぐことができる。それは、「言葉がない」ことによって、逆に無限のイマジネーションを受け入れる器(うつわ)となった音楽の姿なのである。

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