リート
「リート」について、用語の意味などを解説

Lied(伊)
リートとは、広義には「歌曲」全般を意味する。独唱曲や合唱曲など。中世の単旋律歌曲、ルネサンスの多声歌曲、バロックの通奏低音付歌曲などを含む。
ドイツ・リート
ドイツ・リートとは、ドイツ語によるロマン派芸術歌曲。ドイツ詩の独唱歌曲を指す。一般にピアノ伴奏を有する。代表的な作曲家に、シューベルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフ、R.シュトラウスなど。
リートにおける詩と音楽の対位法 ロマン派の魂を解剖する
ドイツ・リートの世界は、単に「歌」というジャンルで括るにはあまりにも奥深く、文学と音楽が互いに浸透し合う稀有な領域である。URL先の記事では基礎的な定義が簡潔に述べられているが、専門的な視座から補足すべき点は多岐にわたる。特に、ピアノという楽器の役割の変遷、詩の形式と音楽構造の関係性、そして各作曲家がいかにしてテキスト(詩)と向き合ったかという歴史的展開は、リートを理解する上で不可欠な要素である。ここでは、リート芸術の核心に迫る専門的な知見を追記する。
ピアノ・パートの自律性と心理描写
リートを聴く際、多くの聴衆は歌手の声や旋律の美しさに耳を奪われがちだが、専門的な聴取においてはピアノ・パートこそが雄弁な語り部であることに気づくはずだ。フランツ・シューベルト以前の歌曲において、鍵盤楽器は声楽を和声的に支える従属的な存在に甘んじることが多かった。しかしシューベルトは、ピアノ伴奏に詩の情景や心理状態を具体的に描写する役割を与えた。『糸を紡ぐグレートヒェン』における糸車の回転を表す音型や、『魔王』における馬の疾走と父親の焦燥を表す連打音はその最たる例である。これらは単なる背景音ではなく、ドラマを牽引する主体的な要素として機能している。
この傾向をさらに推し進めたのがロベルト・シューマンである。自身がピアニストを目指していたこともあり、彼のリートにおけるピアノ・パートは、歌声と対等、あるいはそれ以上の表現力を持つ。特筆すべきは、歌い終わった後にピアノだけで演奏される「後奏(ポストリュード)」の存在である。連作歌曲『詩人の恋』の終曲では、歌が語り尽くせなかった感情の余韻や、物語の真の結末を、長いピアノの後奏が引き受ける。ここでは、言葉による表現が限界を迎えた地点から音楽が始まり、聴き手を形而上の世界へと誘う。リートにおけるピアニストは伴奏者ではなく、歌手と呼吸を共有し、無言の対話を繰り広げる共演者(パートナー)と定義されるべきである。
形式の選択に見る作曲家の美学
詩を音楽化する際、作曲家は主に二つの形式を選択する。一つは、詩の各連に対して同じ旋律を繰り返す「有節歌曲(ストロフィック)」形式であり、もう一つは、詩の進行に合わせて音楽が絶えず変化していく「通作歌曲(スルー・コンポーズ)」形式である。 ゲーテの詩『野ばら』を例にとれば、シューベルトやウェルナーは民謡風の素朴さを重視し、有節形式を採用した。これにより、物語の寓意性が普遍的な歌謡として昇華される。一方で、物語性が強く、感情の起伏が激しい詩においては、通作形式が選ばれることが多い。シューベルトの『魔王』や『プロメテウス』などがそれに当たる。 作曲家がどちらの形式を選ぶか、あるいはそれらをどう折衷させるかという点に、詩に対する解釈の深さが表れる。有節形式のように見えても、歌詞の内容に合わせて和声や伴奏音型に微細な変化を加える「変形有節形式」の手法は、定型的な美しさと心理的なリアリズムを両立させる高度な技法であり、ここにリート作曲家の職人芸が見て取れる。
フーゴー・ヴォルフと言語のリズム
リートの歴史において、詩の言葉と音楽の関係を極限まで突き詰めたのがフーゴー・ヴォルフである。彼は自らの作品を「ピアノと歌声のための詩」と呼び、ワーグナーの影響を受けた半音階的な和声語法を用いて、詩の微妙なニュアンスを一言一句漏らさず音に変換しようと試みた。 ヴォルフの歌曲では、伝統的な旋律の美しさよりも、ドイツ語のアクセントや抑揚(デクラマツィオン)の正確さが優先される。詩の朗読リズムがそのまま音楽のリズムとなり、ピアノ・パートは独立した交響的な響きでそれを包み込む。彼の作品を聴くことは、高度に洗練された詩の朗読会に参加することと同義であり、そこでは音楽は詩に奉仕する忠実な僕であると同時に、詩の意味を増幅させる強力な解釈者となる。彼の「メーリケ歌曲集」や「ゲーテ歌曲集」は、ドイツ文学に対する深い敬意と洞察なしには生まれ得なかった傑作群である。
オーケストラ伴奏歌曲への拡張と世紀末の退廃
19世紀末から20世紀初頭にかけて、リートは個人の内面的な吐露から、より公共的で壮大な表現へと変貌を遂げる。グスタフ・マーラーやリヒャルト・シュトラウスによるオーケストラ伴奏歌曲(管弦楽伴奏歌曲)の台頭である。 マーラーは『少年の魔法の角笛』や『リュッケルト歌曲集』において、オーケストラの多彩なパレットを用い、民謡的な素朴さと実存的な苦悩という相反する要素を巨大なスケールで描いた。彼の『大地の歌』は、交響曲とリートの境界線を消滅させた金字塔であり、東洋的な無常観が西洋の爛熟した管弦楽法によって表現されている。 一方、R.シュトラウスはオペラ作曲家としての手腕をリートにも発揮し、劇的で官能的な表現を追求した。彼の歌曲は、ソプラノ歌手の輝かしい声質を最大限に活かすように書かれており、ピアノ伴奏版であってもオーケストラのような色彩感を感じさせる。これら後期ロマン派のリートは、調性音楽の崩壊を予感させる複雑な和声と、世紀末特有の耽美的な空気を纏っており、シューベルトから始まったリートの歴史の一つの到達点を示している。
演奏解釈と現代における受容
リートの演奏において、歌手には単なる発声の技術以上に、テキストの深い解釈と、それを伝えるためのディクション(発音法)が求められる。ドイツ語の子音の鋭さや母音の色彩を使い分け、言葉の意味だけでなく、その響き自体が持つ情感を聴き手に伝えなければならない。また、過度なオペラ的歌唱は避けられ、室内楽的な親密さが重視される傾向にある。大劇場で朗々と歌うのではなく、サロンのような空間で、聴衆一人ひとりに語りかけるようなアプローチがリートの本質だからである。
現代の日本の聴衆にとって、ドイツ語という言語の壁は存在するが、対訳を参照しながら聴くことで、その障壁は知的な喜びに変わる。詩人が言葉で表現した世界を、作曲家がどう読み解き、演奏家がいかに具現化するか。この三重の創造的プロセスを追体験することこそが、リート鑑賞の醍醐味である。それは、数百年前の個人の独白が、時代と場所を超えて現代人の心に共鳴する瞬間であり、クラシック音楽の中でも最も精神的で、かつ人間臭いジャンルとしてのリートの価値は、今日においても些かも色褪せてはいない。
「リートとは」音楽用語としての「リート」の意味などを解説
Published:2025/12/27 updated:
