モデラート
「モデラート」について、用語の意味などを解説

moderato(伊)
モデラート=中ぐらいの速さで。速度標語のひとつ。程よい、ほどほど、ちょうどよい、中くらい、節度のある、といった意味がある。
他の言葉と組み合わされて使われた場合には「適度に…」の意。
「中庸」という名の哲学的難問
音楽用語のモデラート(moderato)は、イタリア語で「中くらいの速さで」「適度に」と訳されるが、この言葉を単なる速度の指定(BPM 108〜120程度)として捉えることは、その本質を見誤ることになる。語源であるラテン語の moderari(節度を保つ、制御する)が示す通り、モデラートの真の意味は、アリストテレスが説いた「中庸(メソテース)」の精神、すなわち「過不足のない完全なバランス」を音楽において実現することにある。
速すぎることもなく、遅すぎることもない。情熱的すぎず、冷淡すぎず。この「ちょうど良さ」を見つけることこそが、実は芸術において最も困難な課題の一つである。極端な感情(激情や絶望)を表現することは、ある種の勢いで可能かもしれないが、モデラートが求める「理性的でありながら温かみのある」状態を維持するには、演奏者の成熟した精神性と、揺るぎないテンポ感覚(パルス)が不可欠となる。
「抑制」が生む気品
モデラートはしばしば、他の速度記号と組み合わされて使用される。例えば「アレグロ・モデラート(Allegro moderato)」は、「ほどよく速く」と訳されるが、そのニュアンスは「速さの中に節度を持たせた」あるいは「理性を失わない速さで」と解釈すべきである。単なるアレグロが外向的なエネルギーの発散であるのに対し、モデラートが付加されることで、そこには大人の分別や、貴族的な抑制(noblesse)が加わる。
逆に「アンダンテ・モデラート(Andante moderato)」であれば、歩くような速さの中に、少しの推進力や意志の強さが含まれることになる。このように、モデラートは音楽に「ブレーキ」や「アクセル」をかけるための修飾語として機能し、極端な走りすぎや停滞を防ぐ「知性のアンカー」としての役割を果たしている。
ラフマニノフに見る「重厚な歩み」
モデラートの美学を象徴する名曲として、セルゲイ・ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』の冒頭が挙げられる。ピアノ独奏がF短調の和音を連打し、鐘の音のようにクレッシェンドしていくこの部分は、単に「中くらいの速さ」ではなく、巨大な運命がゆっくりと、しかし確実に動き出すような、抗いがたい重量感を持って演奏されなければならない。
ここでのモデラートは、物理的な速度よりも「密度の濃さ」を示唆している。一歩一歩が地面に深く沈み込むような、重厚で確信に満ちた歩み。もしこれを性急に演奏してしまえば、曲の持つ荘厳さは失われ、単なる指の運動になってしまうだろう。モデラートとは、急がない勇気を持つこと、そして一つひとつの音に十分な意味と重さを与える時間の使い方なのである。
「普通」であることの非凡さ
演奏家にとって、モデラートほど誤魔化しのきかないテンポはない。プレスト(急速)のような勢いで聴衆を圧倒することもできず、アダージョ(緩徐)のような甘美なルバートで陶酔させることも難しい。モデラートは、素材そのものの質が露わになるテンポである。
正しいモデラートで演奏された音楽は、人間の正常な心拍数(および歩行のリズム)と同期し、最も自然で、生理的な心地よさを聴き手にもたらす。それは「退屈な普通」ではなく、作為のない自然体の美しさである。シューマンが「適正なテンポを見つけることは、天才のみに許された特権である」と語ったように、説得力のあるモデラートを奏でることは、その演奏家が音楽の呼吸(ブレス)を完全に掌握していることの証明に他ならない。
日常と芸術の架け橋
モデラートは、日常の時間感覚と芸術的な時間感覚の接点に位置している。私たちの生活の大部分は、極端な悲劇や歓喜ではなく、淡々とした「中庸」の時間によって構成されている。モデラートの音楽は、そうした日常の営みを肯定し、平穏な時間の中に潜む豊かさや、穏やかな幸福感をすくい上げる。
派手な演出や極端な表現がもてはやされがちな現代において、モデラートが指し示す「節度」や「バランス」の美学は、私たちが失いかけている精神的な安定を取り戻すための重要な鍵となる。それは、叫ぶことも囁くこともせず、ただ堂々と「在る」という、最も力強い肯定の音楽なのである。
「モデラートとは」音楽用語としての「モデラート」の意味などを解説
Published:2025/12/27 updated:
