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リチェルカーレ

Posted by Arsène

「リチェルカーレ」について、用語の意味などを解説

リチェルカーレ

ricercare(伊)

リチェルカーレ(ricercare)は、16-17世紀の器楽曲の名称。

様々な楽曲がこの「リチェルカーレ」の名で呼ばれたが、特にフーガの前段階ともいえる模倣的書法のものが重要。

リチェルカーレは、元は「探索する」「追求する」という意味がある。

探求という名の音楽、その起源と本質

リチェルカーレ(ricercare)という言葉は、イタリア語で「探求する」「探し求める」を意味する動詞に由来する。この名称は単なる楽曲の分類記号ではなく、作曲家や演奏者が音楽に対して抱く哲学的な姿勢を象徴している。

初期のリチェルカーレは、リュートやヴィオラ・ダ・ガンバといった弦楽器奏者が、本格的な演奏に入る前に楽器の調律を確認したり、指を慣らしたりするための即興的な前奏曲を指していた。つまり、楽器の響きや調性の可能性を「探る」行為そのものが、音楽形式としての出発点であった。

時を経るにつれて、この「探求」の対象は楽器の機能から、より純粋な音楽構造へと移行していく。作曲家たちは、一つの主題(テーマ)がどのような対位法的な可能性を秘めているか、あるいは複数の声部がいかにして絡み合いながら調和を生み出すことができるかという、論理的な美の追求に重きを置くようになった。したがって、リチェルカーレは感情的な発露よりも、知的で構築的な性格を強く帯びており、後のフーガへと至る対位法音楽の重要な実験場としての役割を果たした。

声楽様式の器楽化と模倣対位法

16世紀から17世紀にかけて、リチェルカーレは「器楽のためのモテット」という性格を強めていく。当時の宗教声楽、特にモテットでは、歌詞の一節ごとに新しい旋律(主題)が登場し、それが各声部によって模倣される形式が主流であった。この声楽的な多声音楽を、言葉を持たない器楽(オルガンやチェンバロなど)に移し替えたものが、鍵盤リチェルカーレの原型である。

アンドレア・ガブリエリやジローラモ・フレスコバルディといったイタリアの巨匠たちは、この形式を発展させ、主題の変形や拡大・縮小といった高度な技法を盛り込んだ。特にフレスコバルディは、複数の異なる主題を次々と提示する従来のスタイルから、単一の主題を徹底的に掘り下げる「モノテマティック(単一主題)」なリチェルカーレを確立し、楽曲に統一感と求心力をもたらした。これは、後にバッハによって完成されるフーガの構造的基礎を築く革命的な転換であった。彼らにとってリチェルカーレとは、厳格なルールの下で主題がいかに多様な表情を見せうるかを証明する、一種の論文のような存在だったと言える。

フーガの前身としての歴史的意義と相違

リチェルカーレはしばしば「フーガの前身」と説明されるが、両者は似て非なる独自の美学を持っている。一般的なフーガが、主題の提示から展開、そしてクライマックスへと向かうドラマティックな推進力を持つのに対し、リチェルカーレはより瞑想的で、静的な性格を保つ傾向がある。歴史的に古い「ホワイト・ノーテーション(白符)」で記されることが多く、ゆったりとしたテンポの中で、各声部のラインが抽象的なタペストリーのように織り成されていく様は、フーガにはない古雅な趣を湛えている。

また、フーガが調性の確立に伴って主調と属調の対比を重視するのに対し、リチェルカーレは旋法的な響きを残していることが多い。このため、リチェルカーレには調性音楽特有の強力な解決感よりも、永遠に循環し続けるような浮遊感が漂う。これは「探求」という名の通り、結論を急ぐのではなく、思考のプロセスそのものを味わう音楽形式であることを示唆している。

バッハ『音楽の捧げもの』における集大成

ヨハン・セバスティアン・バッハの晩年の傑作『音楽の捧げもの(Musifalisches Opfer)』において、リチェルカーレはその歴史的な頂点を迎える。プロイセン王フリードリヒ2世から与えられた「王の主題」をもとに作曲されたこの曲集には、3声と6声の2つのリチェルカーレが含まれている。特に6声のリチェルカーレは、バッハの対位法技法の全てが注ぎ込まれた記念碑的な作品であり、今日でも鍵盤音楽の最高峰の一つと見なされている。

興味深いことに、バッハはこの曲集の各曲の頭文字を繋げると「RICERCAR」となるラテン語の献辞を残している(Regis Iussu Cantio Et Reliqua Canonica Arte Resoluta=王の命による主題と、カノン様式で解決されたその他のもの)。ここでバッハがあえて「フーガ」ではなく、古めかしい「リチェルカーレ」という名称を用いたのは、単なる言葉遊びではない。彼はこの語源に立ち返り、与えられた主題の奥底に眠る宇宙的な秩序を「探求」し、解き明かすことこそが作曲家の使命であることを宣言したかったのではないだろうか。

現代における解釈と演奏の地平

現代においてリチェルカーレが演奏される機会は、バッハやフレスコバルディの作品を除けば決して多くはない。しかし、アントン・ヴェーベルンがバッハの6声のリチェルカーレをオーケストラ用に編曲したように、その構造美は現代の作曲家たちにも強いインスピレーションを与え続けている。ヴェーベルンは、旋律を複数の楽器に細かく分割して受け渡す「音色旋律」の手法を用いることで、リチェルカーレの持つ多層的な構造を視覚化するように音響化した。

演奏家にとって、リチェルカーレを弾くことは、指先の技巧以上に知的な体力を要求される作業である。各声部を独立して聴き分け、それらを立体的に構築する能力が不可欠であり、そこにはロマン派的な感情過多な表現が入り込む余地は少ない。しかし、その厳格なルールの内側にある静謐な美しさを引き出した時、リチェルカーレは現代人の心に、秩序と静寂という稀有な体験をもたらしてくれる。それは、情報の洪流の中にある私たちにとって、真実を「探し求める」ことの尊さを音で教えてくれる哲学的な営みと言えるだろう。

「リチェルカーレとは」音楽用語としての「リチェルカーレ」の意味などを解説

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