メゾ・スタッカート
「メゾ・スタッカート」について、用語の意味などを解説

mezzo staccato(伊)
メゾ・スタッカートとは、スタッカートよりもやや長めに音を切る、柔らかく切る奏法で、スタッカートにスラーやテヌートを組み合わせて示される。
矛盾する指示の統合 メゾ・スタッカートの美学
メゾ・スタッカート(mezzo staccato)は、音楽表現において最も繊細で、かつ誤解されやすいアーティキュレーションの一つである。イタリア語で「半分の(mezzo)」「切り離された(staccato)」という意味を持つこの言葉は、字義通りに受け取れば「半分切る」という曖昧な指示になる。しかし、その真意は、相反する二つの力――「音を切り離そうとする力(スタッカート)」と「音を保とうとする力(テヌート/レガート)」――を均衡させ、独特の粘り気と重みを持った音色を生み出すことにある。
多くの音楽事典では「スタッカートとレガートの中間」や「音の長さを約3/4程度に保つ」と定義されるが、これは単なる長さの問題ではない。それは音の「切り方」ではなく「離れ方」の美学である。鍵盤や弦から指(あるいは弓)が離れる瞬間に、名残惜しさやためらいを含ませることで、物理的には切れているが、心理的には繋がっているという、高度な幻影を作り出す技術なのである。
記譜法の謎とポルタートとの関係
メゾ・スタッカートは、楽譜上では主に二通りの方法で表記される。一つは「スタッカートの点(・)の上にスラー(曲線)をかける」方法、もう一つは「テヌートの横棒(-)の上にスタッカートの点(・)を書く」方法である。後者は特に「ポルタート(portato)」とも呼ばれる。
厳密には、ポルタート(運ばれた)は、一つ一つの音に重みをかけながら滑らかに移行する奏法を指し、メゾ・スタッカートはその結果として生まれる音の状態を指すことが多いが、実用的にはほぼ同義語として扱われる。この「スラー+スタッカート」という視覚的な矛盾こそが、この奏法の本質を表している。「繋げろ(スラー)」と「切れ(スタッカート)」という二重拘束(ダブルバインド)の中で、演奏家は悩み、その葛藤が音に深い陰影を与えるのである。
「語るような」タッチの秘密
ピアノ演奏において、メゾ・スタッカートは「パルランド(parlando/話すように)」の表現と密接に関わっている。人間が言葉を話すとき、単語と単語の間には微細な空白があるが、意味は途切れずに繋がっている。同様に、メゾ・スタッカートで演奏される旋律は、一音一音を噛みしめるように、あるいは慈しむように発音される。
技術的には、鍵盤を叩くのではなく、指の腹で鍵盤を「掴み」、底まで押し込んだ後、急に離すのではなく、指が鍵盤に吸い付くような感覚を残しながらゆっくりと持ち上げる。ペダルを薄くかけることで響きを助けることもあるが、基本的には指先のコントロールによって、音の減衰(ディケイ)を操作し、余韻と次の音のアタックを絶妙にブレンドさせる高度なタッチが要求される。
弦楽器における「ルレ」の技術
ヴァイオリンなどの弦楽器においては、メゾ・スタッカート(ポルタート)は「ルレ(louré)」と呼ばれるボウイング技術に対応する。これは、一弓(ひとゆみ)の中で、弓を止めずに、しかし波打つように圧力を変化させることで、音を柔らかく区切る奏法である。
弓を完全に弦から離してしまうスピッカートや、鋭く止めるスタッカートとは異なり、弓は常に弦に触れている。それにより、音には継続的な振動と、パルスのような区切りが共存する。この奏法は、バッハの無伴奏ソナタやパルティータなどのバロック音楽において、舞曲の優雅なステップや、多声的な対話を表現するために不可欠な要素となっている。
優柔不断という名の芸術
メゾ・スタッカートが表現するのは、断定的な「否(スタッカート)」でも、完全な「是(レガート)」でもない、その間の無限のグラデーションである。「行きたいけれど、行けない」「別れを告げたが、まだ愛している」。そうした人間の感情における「ためらい」や「未練」、「優柔不断さ」を音響化するとき、メゾ・スタッカートは最強の武器となる。
白か黒か、0か1かというデジタルな世界において、この「あわい(間)」の領域に留まり続けるメゾ・スタッカートの響きは、私たちに、結論を急がないことの豊かさや、曖昧さの中にこそ宿る真実の美しさを教えてくれる。それは、音が消えゆく瞬間にこそ、最も雄弁な物語が語られるという、音楽の逆説的な真理を体現しているのである。
「メゾ・スタッカートとは」音楽用語としての「メゾ・スタッカート」の意味などを解説
Published:2025/12/27 updated:
